[ヨーロッパ−中世]
神聖ローマ帝国において、ドイツ王またはローマ人の王 (事実上の皇帝)
を選ぶ選挙権を持つ諸侯。
選ばれた王が教皇に戴冠されることで皇帝となるが、
16世紀以降教皇による戴冠なしでも皇帝と称するようになった。
選帝「侯」とは言うが、この「侯」は諸侯のことで (ドイツ語の furst も同様)、
選帝侯の中に日本語で侯爵とされる諸侯はいない。
最初は12世紀末ホーエンシュタウフェン家とヴェルフ家の皇位争いを仲裁するため、
教皇イノケンティウス3世が皇帝には4人の有力諸侯の賛同が必要であると定めた。
後にさらに諸侯が加わり、カール4世の金印勅書で7人の選帝侯の特権が確定した。
後30年戦争によりライン=プファルツ伯の権利はバイエルン公に移り、
ヴェストファーレン条約によりライン=プファルツ伯は改めて選挙権が与えられた。
また、17世紀末にはハノーファー選帝侯が加わった。
ハノーファー選帝侯は後にイギリスのハノーファー朝の王も兼任した。
選帝侯には多くの特権が与えられ、帝国の地方分権化に拍車をかけた。
反面、選帝侯が7人 (後にさらに追加) いたため、
1人のキングメーカーが絶大な権力を握ることも無く、
勢力の均衡が保たれた。
なお、ナポレオン戦争で選帝侯に大きな異動があったが、
皇帝選挙が行われる前に神聖ローマ帝国自体が消滅した。