キプチャク

[ヨーロッパ・中央アジア−中世]

11世紀から13世紀頃に中央アジアから黒海北岸の辺りで栄えた テュルク系の遊牧民族。 ロシアではポロヴェツ、より西のビザンツ帝国やハンガリーではクマンと呼ばれた。 キプチャクの支配領域北部の草原は民族名からキプチャク平原と呼ばれ、 後のジュチ=ウルスの別名キプチャク汗国の元となった。 中央アジアから黒海沿岸に進出し、 それまで割拠していたペチェネグ人に代わってこの地域の覇権を握った。 キエフ大公国に対して襲撃と略奪を繰り返し、 公同士の内部抗争と合わせてキエフ衰退の要因となった。 一時ウラジーミル2世らによるキエフの反撃で勢力が衰えたが、 内部抗争でキエフが衰えると盛り返し、 キプチャクの有力者はルーシの公と同様の離合集散を行うようになった。 とりわけイーゴリ公との戦いは文学作品によって有名となった。 その後モンゴルによってルーシ共々征服され、 ジュチ=ウルスの支配下に組み入れられた。
一部のキプチャクはハンガリーに移住し、クン人と呼ばれる集団として長く存続した。 また、征服時に捕虜となった多くの者が奴隷として売られ、 その内マムルーク(奴隷出身の軍人)として台頭した者がエジプトで権力を握り、 マムルーク朝を建国した。 バイバルスやカラーウーンはキプチャク出身と言われている。

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