ポーランド王国(ポーランドおうこく)

[ヨーロッパ−中世・近世]

現在のポーランドおよび周辺地域を支配していた国家。 後にリトアニア大公国(現在のリトアニアより遥かに大きな国)と合同し ポーランド=リトアニア共和国へと発展した。 中世においてポーランドは諸侯が分割統治していたが、 ビャスト朝ミェシュコ1世によって統一され、 またローマ教皇の援助を得るためカトリック化した。 ミェシュコの子ボレスワフ1世「勇敢王」は広大な領域を征服してポーランド領を固め、 神聖ローマ帝国に対等な地位を認めさせてポーランド「王」国を成立させた。 しかし諸侯が強く王権が弱い体制であったため、 12世紀後半には王の子供達によって分割されてしまった。 さらにモンゴル侵攻によって国土も荒廃し、 ヴワディスワフ1世により再統一されるまで100年以上かかってしまった。 ヴワディスワフの息子のカジミェシュ大王の巧みな外交により再び大国となったが、 大王に息子がいなかったため甥のハンガリー王ラヨシュ、 ラヨシュの死後はその娘ヤドヴィカが女王となった。 しかし当時のポーランドはドイツ騎士団の圧迫に晒されており、 幼い女王では対応できなかった。 そこでポーランド貴族はリトアニア大公ヨガイラに白羽の矢を立て、 ヨガイラはカトリックに改宗してヤドヴィカと結婚し、 ヴワディスワフ2世として即位、ヤギェウォ朝を創設した。 ヴワディスワフは期待通りグルンヴァルト(タンネンベルク)の戦いでドイツ騎士団に勝利し、 ポーランドの強国の地位を確定させた。 ポーランドは後の衰退に繋がる貴族の強権という内憂を抱えていたが、 大国として君臨し、リトアニアのポーランド化も進んでいった。 そしてルブリン合同によってリトアニアと合同(リトアニアを併合)し、 ポーランド=リトアニア共和国へと発展した。

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