キエフ大公国(キエフたいこうこく)

[ヨーロッパ−中世]

現在のウクライナ・ベラルーシ・ロシア西部、 すなわちルーシと呼ばれる地域を領土とした国家。 建国者はヴァリャーグ人=ヴァイキングと言われている。 建国者のリューリクはノヴゴロドを都としたが、 息子イーゴリの摂政であったオレグはキエフを占領して遷都し、 以降キエフを拠点として東スラヴの広大な領土を征服した。 ビザンツ帝国への侵略は失敗したが、 その侵略の前後からビザンツ帝国との経済的・文化的交流が始まった。 キエフはコンスタンティノープルの影響下でキリスト教化し、 これが現在のロシア正教の源流となった。 ウラジミール聖公・ヤロスラフ賢公の統治下で大国として発展したが、 ヤロスラフが子供達を重要都市に配置したことで都市間の争いが頻発することとなり、 大公国はいくつかの公国へ分裂してしまった。 モンゴルの侵略を受けたときにはこれに対抗する力は無く、 南ルーシ一帯を占領されて滅亡した。 なおモンゴルは占領地を直接統治せず、 従属した公にキエフ公の位を与えて統治させた。 この名目上のキエフ公国はモンゴルの衰退後キエフを占領した リトアニア大公国が廃止するまで継続した。

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