[オスマン帝国]
オスマン帝国に海軍史に名を残す提督 (レイス) 。
エーゲ海レスボス島の出身と言われる。
兄ウルージに従って北アフリカのバルバリア海賊となり、
アルジェを中心に勢力を拡大させた。
ウルージがカルロス (皇帝カール5世) 率いるスペインに討たれると跡を継ぎ、
同時にバルバロス (赤髭) のあだ名も受け継いだ
(ハイレディン自身は赤髭ではなかったらしい)。
単独でスペインと戦うのは難しいと考えたハイレディンはオスマン帝国に帰順し、
アルジェ総督とカプタン=パシャ (海軍司令官) の地位を得た。
元々オスマン帝国は陸軍国で海軍はあまり強くなかったが、
ハイレディンの手腕とバルバリア海賊勢力により強大な海軍を作り上げた。
後にプレヴェザの海戦で奇襲によりキリスト教連合軍に勝利し、
オスマン帝国が地中海の大部分の覇権を握ることとなった。
そしてオスマン帝国の地中海での優位はハイレディンが死去するまで
揺るぐことは無かった。
ハイレディンは海賊の出身ながらオスマン帝国の司令官となり、
強大な海軍を作り上げて地中海の制海権を握った。
イギリスのドレークと共に最も成功した海賊と言えるだろう。
尚兄ウルージは勇猛果敢な闘将であったが、
ハイレディンは智謀に長けた智将であったと言われる。
一国の海軍を築いた手腕やプレヴェザの奇襲の手並みを見れば
その評価も納得である。