[中国−後漢末]
後漢末の政治家・武将。字は遂高。 霊帝の何皇后の異母兄であり、外戚として宦官の十常侍と権力闘争を繰り広げた。 元々羊の屠殺業(流石にただの肉屋ではなく大店ではあった模様)に従事していたが、 妹が宦官郭勝の後押しで宮中に入り、 その兄であった何進も取り立てられ文武の高官を歴任した。 黄巾の乱が勃発すると何進は大将軍に任じられて 首都の防衛と後方支援を担当し、 密偵の馬元義を捕らえるなどの功績を挙げた。 また乱は部下の皇甫嵩・朱儁らの働きで鎮圧されたが、 その後も政情は不安で小規模な乱が頻発した。 そんな中で霊帝の後継を巡って何皇后の子劉弁を支持する何進と 劉協を支持する宦官の蹇碩が争うことになった。 霊帝は英邁な劉協を支持していたため蹇碩は強引にことを進め、 何進の誅殺を図るも情報が洩れて失敗し、 劉弁が即位し(後に少帝と呼ばれる)蹇碩らを逆に排除した。 その後も党錮の禁の影響もあって十常侍を中心とした宦官への不満が収まらず、 何進は宦官の排除に乗り出したが、 宦官に見出された妹何皇后や継弟の何苗が宦官を擁護したため 身内と部下の豪族達の板挟みとなってしまった。 何進は袁紹ら部下に後押しされて地方から兵を集めたが、 情勢が逼迫する中無警戒に宮中に参内してしまい、 十常侍が率いた兵によって殺害された。 その後何進の部下達は激高して挙兵し、 宮中に突入して十常侍ら宦官達を皆殺しにした。 この結果外戚何進と宦官勢力は共倒れとなったが、 何進に呼び寄せられていた董卓が少帝弁と協の兄弟の身柄を確保し、 漁夫の利を得て政権を握ることになった。
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