カール12世

[ヨーロッパ−近世]

プファルツ朝スウェーデンの王。 バルト海の覇権を賭けた大北方戦争で勇名を上げ「北方のアレクサンドロス」と呼ばれた。 父王の死によって14歳で即位し、若かったが議会の内紛の影響ですぐに親政を開始した。 大北方戦争がデンマークの攻撃によって始まると、 軍事的手腕を発揮してデンマーク=ノルウェー、ポーランド=リトアニアとザクセン、 ロシアを破り、ポーランドに傀儡王スタニスワフを立てた。 しかしロシア遠征を強行した結果焦土戦術で疲弊し、 ポルタヴァの戦いで敗れてオスマン帝国に亡命した。 オスマン皇帝を説得してロシアと戦わせたが、 休戦条約を結んだことで関係が悪化し、 さらにスウェーデン軍が敗れたことで帰国した。 この頃には周囲が全て敵となっており、戦況も非常に不利となっていた。 そのためバルト海沿岸を放棄そてロシアと講和し、 矛先をデンマーク=ノルウェーへと向けた。 一時はノルウェーのクリスチャンサンを陥落させたが、 海軍が敗れ補給が断たれたため撤退し、戦線は膠着した。 その最中、カールは要塞の包囲中に流れ弾に当たって戦死した。
生涯独身であったため妹のウルリカ=エレオノーラが王位を継承した。 また大北方戦争の戦後講和ではイギリスやフランスの介入でスウェーデン本土は保たれたが、 バルト海沿岸の領土を失い、覇権を喪失し大国の地位から脱落した。
カールは優れた軍事手腕で周辺敵国を次々と破った名将であったが、 無茶な戦争によって結局スウェーデンを没落させてしまった。 ナポレオンのように一流の軍人ではあったが為政者としてはイマイチであった。 ピョートル大帝の最大のライヴァルと目されているが、 軍事で優っても政治で敗れるのは「天下人のライヴァル」の共通点であろうか。

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