霍光(かくこう)

[中国−漢]

漢の政治家。 武帝の信任を得て昭帝・宣帝の代に政治の実権を握った。 武帝のお気に入りであった驃騎将軍霍去病の異母弟で、 その縁で武帝に出仕した。 傲慢な霍去病と違って霍光は慎み深い人物であったが、 霍光も兄同様武帝に気に入られた。 武帝が死去するとき大司馬大将軍に任じられ、 車騎将軍金日テイ・左将軍上官桀と共に幼い昭帝を補佐することになった。 間もなく金日テイが死去すると上官桀の孫娘が皇后になったこと、 上官桀の子で皇后の父上官安の乱行が切っ掛けで上官桀と対立するようになった。 上官桀は昭帝の兄燕王劉旦や霍光と対立した桑弘羊と組み、 先ず昭帝に霍光の排除を働きかけたが断られ、 次にクーデターを計画したが察知されて失敗し、彼らは自殺・誅殺に追い込まれた。 以後霍光は昭帝に信任され政治の一切を取り仕切った。 昭帝が若くして死去するとその甥の劉賀を帝位に就けたが、 行いが悪いとしてすぐに廃位した (劉賀の部下がクーデターを計画したとも言われる)。 次いで武帝の曾孫で巫蠱の獄のため市井で育った劉病已を推挙し、 宣帝として即位させた。 宣帝即位後も霍光は死去するまで実権を握り続けた。 しかし霍光の死後、 息子の霍禹など残った一族が権力を握ろうとしたが彼らに霍光ほどの才徳は無く、 宣帝に権力を奪われた上クーデター計画が露見し、 一族は皆殺しとなった。
霍光は武帝に気に入られて出世し、 その死後昭帝に信任されて人身位を極めた。 さらに血生臭い権力闘争を経て事実上の最高権力者となったが、 霍光自身は慎み深く驕慢な振る舞いを避けたため後世に悪名が残ることは無かった。 しかし後継者の育成には失敗し死後一族が滅亡することになった。 なお宣帝即位時に政権の運営を任せる詔が出され、 その中の「関(あずか)り白(もう)す」が日本の関白の語源と言われる。

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