[ヨーロッパ−近代]
フランスで勃発した市民革命。
栄光の三日間とも呼ばれる。
ナポレオン没落後王政復古によって即位したルイ18世、
及びその後継者であるシャルル10世は革命以前を志向する反動政治を行い、
多くの国民の反感を買っていた。
国内の不満を逸らすためアルジェリア侵略を始めたが、
国内の不満を収めるには至らなかった。
シャルル王は自由主義者が多かった議会を解散させ、
選挙権の縮小を命じる勅令を発し、
さらに新聞の没収を命じたが、
これが引き金となってパリで学生や労働者を中心とした暴動が発生した。
市街戦が始まると鎮圧軍は押され始め、
テュイルリー宮殿を始めパリの要所は次々と蜂起軍によって占領され、
三日目にはルーブル宮殿も占拠された。
国王は驚き勅令の撤回と内閣総辞職を決めたが既に遅く、
フランス革命の英雄であったラファイエット将軍が担ぎ出され、
オルレアン公ルイ=フィリップと共に民衆に歓迎されると、
処刑を恐れたシャルル王は退位しオーストリアに亡命した。
その後ルイ=フィリップが新たな王として即位し、
七月王政(オルレアン朝)と呼ばれる新たな立憲君主制の王朝へと移行した。
新王朝は主にブルジョワジーの支持を得て、
自由主義的な政治を行った。
その反面制限選挙制で労働者階級は政治から締め出され、
その不満が六月暴動や後の二月革命に繋がることととなった。
七月革命の成功により、ポーランドやイタリアでも蜂起が起こったが、
何れも鎮圧された。
ただベルギーの蜂起は成功し、ベルギー王国はオランダから独立することになった。
一連の騒動はウィーン体制の崩壊には至らなかったものの、
ギリシア独立戦争での各国対立と合わせて体制を大きく動揺させることになった。