ジュダ=ベンジャミン

[北米−近代]

アメリカの政治家で、アメリカ連合国の3つの閣僚ポストを歴任し 「連合国の頭脳」と称された。 デンマーク領西インド諸島(現アメリカ領ヴァージン諸島) でユダヤ系イギリス人の子として生まれ、 幼少時に家族と共にアメリカのノースカロライナ州・サウスカロライナ州へ移住した。 イェール大学に入学したが中途退学し、 後にルイジアナ州で法律の勉強をして弁護士となった。 また奴隷を用いて砂糖農園を経営し財を得たが、後に奴隷ごと売却した。 ルイジアナ州下院議員として政界に入り、 転じて連邦上院議員となり、雄弁な政治家として高い評価を得た。 南北対立からルイジアナ州が合衆国を離脱すると上院議員を辞職し、 連合国大統領となったデイヴィスによって司法長官に指名された。 南北戦争が激化すると代行を経て陸軍長官に転じたが、 劣勢な兵力のため苦戦し、ロアノーク島失陥の責任を追及され辞任した。 その後国務長官(外交責任者)となってイギリスに対する外交工作を進めたが、 リンカーンの奴隷解放宣言の影響などもあり捗々しい成果を挙げられなかった。 追い詰められたベンジャミンは奴隷を解放し軍に入隊させるという法案を立案した。 この法案はリー将軍も賛同したが、 連合国の大義を否定する内容であることから保守派の強硬な反対にあって難航し、 成立に漕ぎつけた直後に首都リッチモンドが陥落したため実施はされなかった。 戦後間もなく合衆国大統領リンカーンが暗殺されたが、 ベンジャミンが黒幕であるという噂が広まり、 公正な裁判が受けられないのではないかと考えたベンジャミンは 偽名でイギリスへ亡命した。 イギリスで弁護士資格を取ったベンジャミンはここでも成功を収め、 王室顧問弁護士にまで選ばれた。 最期はフランスのパリで死去した。
ベンジャミンは外国生まれのユダヤ人というアウトサイダーであったが、 能力と政治家としての実績を買われ連合国の頭脳とまで呼ばれた。 ただリー将軍らと同様南部の独立や奴隷制維持のためと言うより 郷土のために働いたようで、 奴隷制を否定するような法案を提案している。 劣勢な国力と時代遅れになっていた奴隷制のため敗者となり、 さらにデマのため故国を追われたが、 自身の才覚で亡命先でも成功を収めた。 「連合国の頭脳」は伊達ではなかったようである。

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