[中国−春秋・戦国時代−宋]
春秋の5覇に名前を連ねることもある。 宋の国主となり諸国に出兵、会盟を主催するが、 大国楚を爵位から下座に置いたため怒りを買い、一時拘束される。 釈放の後楚と戦いになり、 その戦場で建前にこだわり敵の隙を突かなかったため敗れ、 失意の内に世を去る。 以後、敵に中途半端な情けをかけることを 「宋襄の仁」と言うようになった。 彼は戦場で敵に情けをかけた愚か者であった。 真の仁者なら、戦いをするべきではなかったのである。