[ヨーロッパ−近代]
ナポレオン=ボナパルトの最初の妻で皇后。
フランスの植民地であった西インド諸島のマルティニーク島で貧乏貴族の娘として生まれた。
アレクサンドル=ド=ボーアルネ子爵と結婚し、息子ウジェーヌと娘オルタンスを生んだが、
夫婦仲は悪く4年後に離婚した。
離婚後マルティニーク島に戻るも島の治安悪化に不安を覚えまたフランスに戻り、
元夫がフランス革命の最中処刑されるとその助命嘆願が罪に問われ投獄されたが、
ジャコバン派政権がクーデターで倒されたことで釈放された。
釈放後は生活のため総裁政府を牛耳っていたバラスの愛人となり社交界の花形となった。
その後新進気鋭の軍人であったナポレオンに求婚され結婚した
(ジョゼフィーヌに飽きたバラスが体よく追い出したとも言われる)。
ナポレオンはジョゼフィーヌに惚れ込んでいたがジョゼフィーヌはそうでもなく、
ナポレオンをつまらない男と見て浮気を繰り返し、ナポレオンの家族との仲は悪かった。
さらに浪費家であることもあってジョゼフィーヌは今日でも悪妻と見られている。
エジプト遠征の最中ナポレオンは妻の浮気を嘆く手紙を送ったが、
手紙を乗せた船がイギリスに拿捕された上手紙が新聞に掲載されてしまった。
この件で大恥をかいたナポレオンは離婚を決意したが、
連れ子のウジェーヌ・オルタンスの嘆願とジョゼフィーヌへの未練により思いとどまった。
これ以降ジョゼフィーヌはナポレオンを愛するようになったと伝えられるが、
逆にナポレオンはジョゼフィーヌに対して冷めていったようである。
ナポレオンが皇帝になるとジョゼフィーヌは皇后となり、
ナポレオンによって戴冠する様子がダヴィッドの絵に残された。
しかしナポレオンに庶子が生まれると、子供が生まれないことを理由に離縁され、
ナポレオンはハプスブルク家のマリー=ルイーズと結婚した。
しかしジョゼフィーヌは離婚後も皇后の称号を保ち、
ナポレオンの相談相手として仲は良かったという。
そんなジョゼフィーヌもナポレオンが退位すると気力体力が衰え、
ナポレオンのエルバ島脱出を待たずに肺炎によって死去した。
ジョゼフィーヌは浪費癖と浮気性のため悪妻の代表のように伝えられるが、
晩年には夫に献身的になり、ナポレオンの流刑後も最期まで援助を続けていた。
皮肉にもナポレオンの方は浮気性が祟ってかジョゼフィーヌからは離れていったが、
離婚後も程よい付き合いを続け、
末期の言葉もジョゼフィーヌの名であったと言われている。
ナポレオンの家族とは仲が悪かったが、
将兵には勝利の女神と呼ばれ人気があった。
少なくとも後半生は夫も息子も放り出した形になったマリー=ルイーズよりは良き妻であった(前半生が悪すぎたのかもしれないが)。
ちなみに子供のウジェーヌとオルタンスは初めから誠実であった。
母の前半生を反面教師にしたのかもしれない。