ヨーゼフ2世

[ヨーロッパ−近世]

ハプスブルク=ロートリンゲン朝の神聖ローマ皇帝。 急進的改革を行った啓蒙専制君主で、「皇帝革命家」などのあだ名で呼ばれる。 フランツ1世、マリア=テレジアの長男として生まれ、 母に溺愛されて育った。 しかし長じて隣国の王で母のライヴァルであったフリードリヒ大王に傾倒するようになり、 母と対立するようになった。 また最初の妻マリア=イザベラを溺愛し、 彼女が若くして病死した後は再婚相手に見向きもせず、 遺児マリアが幼くして病死した後は子を儲けなかった。 父の死後皇帝となるが、ポーランド分割などで母との対立は深まり、 母の死後単独の統治者となると急進的な改革に邁進した。 農奴解放令を発して貴族を介さない農民の直接支配を、 また宗教寛容令により経済力のあるプロテスタントの取り込みを図った。 しかし性急な改革は既得権益を奪われる貴族などの抵抗を招き、 ほとんどの政策は頓挫し、フランス革命が始まった後に失意のうちに病没した。
ヨーゼフ2世は上記改革以外にも庶民の生活を向上させる政策を数多く行い、 農民を始めとする庶民の人気が高かった。 しかし崇拝していたフリードリヒ大王に「第一歩より先に第二歩を踏み出す」 と揶揄される性急さ故に多くの改革は失敗し、 墓碑銘に「良き志を持ちながら、何事も果たさざる人」と書かれることになった。 一方ヨーゼフより後の皇帝の多くが反動保守に走り民衆に嫌われたため、 後の改革思想家からは評価されることとなった。 また自身イタリア趣味であったにも関わらず、 芸術を市民に広めるためドイツ語などのドイツ文化を積極的に取り入れ、 後にウィーンが音楽の都として花開く下地を作った。

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