アントワーヌ-アンリ=ジョミニ

[ヨーロッパ−近代]

スイス出身の軍人・学者。 主にフランス第一帝政で活躍し、 後にロシア帝国へ転じ「戦争概論」を著した。 スイスのフランス語圏であるペアン市で生まれ、 士官学校に通った後商業学校を経て銀行に就職した。 しかしフランス革命の余波でスイスでも革命が勃発すると、 革命で生まれたヘルヴェティア共和国の軍隊に入隊し、 陸軍大臣の秘書を経て大尉大隊長となった。 ただしここではキャリアに限界を感じて退職し、パリで再び商業に従事した。 仕事の傍ら軍事学の著作「大陸軍作戦論」を執筆したが、 これはすぐには評価されなかった。 翌年フランス軍の元帥であったネイによって見出され、 臨時の私設副官としてネイの幕僚となり、 ウルムの戦いやアウステルリッツの戦いに参戦した。 戦後ナポレオンがジョミニの著作を読んで評価し、 正式に採用した上で大佐上級副官に任命した。 さらに昇進して幕僚長となったジョミニはネイに従って各地を転戦し戦功を重ねたが、 ベルティエに警戒されて軍内で孤立していき、 幕僚長を解任されてしまった。 ベルティエがいるフランス軍でのキャリアに限界を感じたジョミニは辞職を願い出たが、 ナポレオンに慰留され少将に昇進した。 ネイとの関係も改善して幕僚長に復帰したが、 ベルティエとの軋轢は続き、 ベルティエはジョミニを名簿から恣意的に削除した上で職務怠慢として禁固刑にした。 ここに至って遂にジョミニはフランス軍を離れてロシア軍へ投降し、 皇帝に謁見して中将侍従武官となった。 ロシアでは露土戦争などで活躍し、 また皇太子の軍事教官を務める傍ら著述にも励み、 「戦争概論」を執筆した。 晩年体調を崩して引退し、最期はパリで90歳で死去した。
ジョミニはフランスから見て外国であるスイス出身な上、 当初は銀行員という軍人としては異色の経歴の持ち主であった。 それでもネイやナポレオンに評価され、 幕僚として上官を支えつつナポレオン戦争を真っ只中で経験していた。 ベルティエが狭量だった所為でフランス軍から追い出されてしまったが、 フランス大陸軍での軍歴が後の戦争概論を生み出した源となったと言えよう。

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