マールバラ公ジョン=チャーチル(マールバラこうジョン=チャーチル)

[ヨーロッパ−近世]

ステュアート朝イングランド・イギリスの名将。 スペイン継承戦争の活躍で知られる。 王党派の地主(ジェントリ)の子として生まれ、 王政復古時代に軍人となり、ヨーク公(後のジェームズ2世)に仕えた。 当時イングランドはフランスと同盟しており、 チャーチルもオランダ侵略戦争にフランス側として参戦、 大元帥テュレンヌに軍才を見出された。 ジェームズ2世即位に伴い男爵の爵位を与えられたが、 プロテスタントであったため王の不興を買っていた。 オラニエ公ウィレムがオランダ軍を率いて上陸した際に軍司令官に任命されたが、 チャーチルはウィレムに寝返り名誉革命を実現させた。 ウィレムが妻メアリと共にウィリアム3世として即位すると、 枢密顧問官・マールバラ伯爵に任じられた。 大同盟戦争では軍を率いてフランス軍を破ったが、 旧主ジェームズとの仲を疑われウィリアムにより罷免、 さらに暗殺計画の嫌疑により投獄された。 その後すぐに釈放されたが、しばらく閑職で過ごした。 しかしスペイン継承戦争が勃発し、さらにウィリアムの死後アン女王が即位すると、 妻サラ=ジェニングスが女官としてアンに仕えていたこともあり再度登用され、 ガーター勲章と大将軍・兵站部総監の地位を得た。 さらにオランダも含めた同盟軍の最高司令官となり、 フランス軍を翻弄してリエージュを占領、 その功績により初代マールバラ公となった。 戦闘ではバイエルンやスペイン領ネーデルラント制圧など優勢であったが、 トーリー党支持・和平派であったアン女王は 戦争継続派であったチャーチルに対する信頼を失い、 さらに盟友ゴドルフィンが連合王国成立のためホイッグ党と組んだことも 心証を悪くした。 そんな中オーストリアのプリンツ=オイゲンと組んで ヴィラール率いるフランス軍に勝利したが、 犠牲が大きくて追撃できなかった。 さらに妻サラが宮廷から追放され、またゴドルフィンが政権を失って トーリー党内閣が成立したことで立場が悪くなり、 公金横領の疑いで最高司令官を罷免された。 トーリー党からの弾劾を避けるためサラと共に亡命、 亡命先のネーデルラントでは英雄として民衆に歓迎された。 終戦後アン女王が死去し、 ハノーヴァー選帝侯ゲオルクがジョージ1世として即位すると、 ホイッグ党内閣が成立したこともあって、 名目上の地位ではあるが大将軍に復帰した。 その後は死去するまで領地で宮殿の建設に専念した。
チャーチルはプリンツ=オイゲンと並び当時最高の名将で、 スペイン継承戦争における同盟軍側優勢の立役者であった。 当時の他の名将と同様機動戦を得意とし、 大胆な機動と奇襲により劇的な勝利を収めた。 金銭に対する貪欲さが欠点で罷免の原因となったとされるが、 実際には当時の慣習から大きく外れておらず政敵によるレッテル貼りだったようである。 ウィリアム3世からは警戒され、後にアン女王の不興を買ったが、 戦場で戦った同僚の将軍や部下の将兵からは慕われ、民衆の人気も高かった。 ジョージ1世も信頼しており、それが名誉回復につながったとも言われる。 なお現在ではその功績以上に 首相ウィンストン=チャーチルやダイアナ妃の先祖として有名である。

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