ジョン=アダムズ

[北米−近世・近代]

アメリカ合衆国の政治家で第2代大統領。 アメリカ合衆国建国時の主要メンバーで、建国の父の一人とされている。 初期に入植した植民者の子孫で、父は農業の傍ら司祭や町会議員を務めた。 父はアダムズを聖職者にしようとしたが、 アダムズ自身は教師、さらに転じて弁護士となった。 植民地とイギリス本国との対立が深まると大陸会議の代議員となり、 有力議員として議会に強い影響を与えた。 また独立宣言の起草委員会のメンバーとして トーマス=ジェファーソンの草案の修正を行った。 その後公使としてヨーロッパへ赴き、 終戦条約であるパリ条約の締結にも使節として参加した。 帰国後初の大統領選挙が行われ、 大陸軍司令官であったワシントンが初代大統領となったが、 アダムズが得票2位のため副大統領となった。 ただしワシントンが主導する政府でアダムスの役割はあまり大きくなかった。 ワシントンの引退後の選挙でジェファーソンに勝利し第2代の大統領となった。 フランス革命の影響でフランスと疑似戦争状態に陥ったものの、 ナポレオンの判断もあり戦争は回避できた。 一方ジェファーソン一派との党派抗争に悩まされ、 次の選挙でジェファーソンに敗北し政界から引退した。 引退後は農業の傍ら自叙伝の記述や文通をして暮らし、 息子ジョン=クインシーが大統領在職中の1826年7月4日、 アメリカ独立宣言の採択50周年の日に90歳で死去した。
ジョン=アダムズはアメリカ建国の父の一人で、 独立運動で主導的役割を果たしたが、 ワシントンの副大統領時代にはほとんど活躍せず、 大統領となった後は抗争に悩まされあまり業績を挙げられなかった。 そのためワシントンやジェファーソンに比べると後世の評価は辛めである。

見出しのページに戻る
歴史小事典+歴史世界地図に戻る