[ヨーロッパ−中世]
中世のイングランド王。欠地王と呼ばれる。
プランタジネット朝初代のヘンリー2世の末っ子で、
相続する領土が無かったため後に欠地王と呼ばれた
(後年領土を喪失したからではない)。
父ヘンリー2世はジョンを溺愛し、ジョンに王位を継がせようとしたが、
兄の反乱を招き、さらにジョンが勝ちそうな兄に寝返ったことで
ヘンリーは憤死したと言われる。
兄リチャードが十字軍遠征の帰りに幽閉されると王位簒奪を狙ったが、
身代金を払って帰国すると屈服した。
兄の死後、甥のアーサーを抑えてイングランド王に即位した。
アーサーはフランス王フィリップの後援を得て対抗したが、
ジョンはこれを捕らえることに成功した。
しかし、アーサーが消息不明となり、ジョンによる暗殺が疑われたことから、
大陸での人望を失い、多くの諸侯がフランスに寝返った。
さらにカンタベリー大司教の地位を巡って教皇とも対立し、
破門され、後に屈服して解いてもらった。
ジョンは皇帝オットー・フランドル伯と組んでフランスに対抗しようとしたが、
フィリップは教皇イノケンティウス・シチリア王フェデリーコ (フリードリヒ)
と組んでブービーヌの戦いで彼らを破り、ジョンの大陸領の喪失が確定した。
帰国後、度重なる重税と敗北から国内の不満が高まり、内戦状態となった。
そして、マグナ=カルタ (大憲章) を認めることでようやく和解した。
立憲政治の第一歩として有名なマグナ=カルタであるが、
ジョンの失政から生まれたものである。
その直後教皇に働きかけてマグナ=カルタを破棄してもらい、
再び内乱となったが、介入したフランス太子ルイにロンドンを奪われ、
間もなく病没した。
その死後、諸侯がジョンの子ヘンリーを支持したため、
ルイは撤退した。
こうして見ると良いとこ無しのジョンであるが、
兄リチャードよりは真面目に政治を行おうとしていた形跡は伺える。
最悪の王とも言われるが、それは極端過ぎるように思われる。
だが、やる事成す事裏目に出て、散々な結果に終わった。
彼に○世は付かないのは、後世の王が縁起の悪い彼の名を嫌ったため、
一人しかいないからである
(王子にはジョンが何人かしたが、即位はしていない)。