[ヨーロッパ−中世]
中世ボヘミアの軍事指導者。フス派の急進派であるターボル派の指導者である。
ボヘミアの没落した小貴族の生まれであったが、知勇に優れ傭兵として頭角を現した。
また隻眼であったため、「隻眼のジシュカ」と呼ばれていた。
この頃ヤン=フスが改革を説いていたが、ジシュカはこの考えに心酔し、
フス派の急進派に接近していった。
フスが処刑されると教会や皇帝に強く反感を抱き、
プラハでの市庁舎襲撃を切っ掛けとして戦争が始まると
ボヘミア南部のターボルを拠点としてターボル派を結成、
ジシュカは司令官となり軍を率いた。
ターボル派は専ら農民兵が主体であったが、
強い信仰心に支えられた精鋭であった。
また荷馬車を改造して防壁とし、
当時最新兵器であったハンドガン(原始的な銃)を大量に導入して
アウトレンジ戦法を確立した。
皇帝ジギスムント率いる帝国軍と何度も戦ったが、
兵力で劣勢ながらこのアウトレンジ戦法で全て勝利した。
この辺り同時代の百年戦争に似ている。
ただし、イングランドは性能は高いものの扱いが難しい長弓を使用していた。
また敵地での野戦とは言えほぼ互角の兵力同士の戦いである。
対してジシュカ率いるターボル派は原始的で性能は劣るものの
農民兵にも使用できるハンドガンを使用し、10倍とも言われる敵を撃退した。
後世銃器が発達して戦争の主役へと発展していくことを考えると
ジシュカとターボル派はたいへん先進的であったと言えよう。
隻眼のジシュカは病で残った片目も失明し「盲目のジシュカ」となったが、
部下から様子を聞きながら采配し、その手腕は衰えなかったと言う。
戦闘においては敵無しであったジシュカであったが、
晩年は同じフス派の穏健派と対立に悩まされた。
最期は遠征中ペストにかかり、間もなく没した。
ジシュカは死後もその皮を太鼓にして敵に恐怖を与えるなど無敵ぶりを発揮し続けたが、彼の率いたフス派急進派はその後穏健派との抗争に負け壊滅してしまった。
ヤン=ジシュカは将軍としては負け無し、
当時世界最強クラスのまさに無敵の将軍である。
反面彼の属していたフス派はまとまりに欠け、
確固とした勢力を築くには至らなかった。
最強の将軍はいたが有能な政治家がいなかったことがフス派の失敗の原因だと言える。
ジシュカに政治力まで求めるのは流石に酷であろう。