ヤン=フス

[ヨーロッパ−中世]

中世ボヘミアの思想家・宗教改革者。 貧しいチェコ人夫婦の子として生まれ、教会で奉公していたが、 長じて司祭を目指し、プラハ大学に入学した。 当初はそれ程傑出していたわけでは無かったようだが、 大学内で順調に出世して聖職に就いた後学長にまでなった。 当時ボヘミア王ヴァーツラフ(ヴェンツェル)の妹がイングランド王に嫁いだ影響で ウィクリフの書いた書物がボヘミアに流入し、広く知られるようになっていたが、 フスはこれに共鳴し、傾倒していった。 このウィクリフの思想がフス主義となったのだが、 現実主義的なウィクリフは教会組織に批判的で、 元々反骨精神が強かったフスも教会を批判するようになった。 そのため大司教に解任されたり、 ウィクリフの書物が焚書となった際追放されたりしたが、 彼とその賛同者の動きは止まらなかった。 免罪符を切っ掛けとして教会とフス派の対立は決定的となり、 王ヴェンツェルは何とか両者を和解させようとしたが、 その弟で神聖ローマ皇帝であったジギスムントが協会側に付き、 コンスタンツ公会議で異端と断じられフスは処刑された。 彼の死後支持者(主にスラブ系住民)と教会の対立は深まり、 ついにフス戦争と呼ばれる戦争に至ることになる。 なお、フスの思想は後のプロテスタントの先駆けと見做されている。

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