イヴァン4世

[ヨーロッパ−近世]

モスクワ大公からロシアの初代ツァーリとなった人物。 苛烈な施政から「雷帝」と称される(ただし日本のみで海外では「恐怖帝」)。 父ヴァシリ3世の死により3歳でモスクワ大公となったが、 摂政だった母エレナが若死にすると大貴族同士の権力闘争が激化し、 幼いイヴァンは無視されるようになった。 そのような環境で育ったためイヴァンは塔から動物を突き落して楽しむような 残忍な性格に育ったと伝えられている。 初めてロシアのツァーリとして即位したが、 彼自身の事績というより先代までのモスクワ大公の権力強化の結果であった。 長じて親政を開始すると、大貴族を抑えるため下層階級や中小貴族に配慮し、 また教会に対しても領地獲得をツァーリの許可制とするなどして対抗した。 また常備軍ストレリツィを新設し、 強化した軍事力によって分裂した元ジュチ=ウルス諸国を征服するなど 内外で事績を挙げた。 しかし妻アナスタシアが死去すると残虐性が表に出るようになり、 またポーランドとの戦争に対する対応で貴族達と対立するようになった。 顧問団が次々に死去・失脚するに及び退位を宣言して郊外に引き籠ってしまった。 大貴族の嘆願ですぐに復位したが、その際非常大権を認めさせ、 その権限を使って恐怖政治を開始した。 この間、多くの大貴族や高位聖職者が粛清され、財産が没収された。 対外的にはスウェーデン・ポーランドを中心とした反ロシア同盟相手に苦戦し、 長引く戦争により国土を疲弊させた。 一方イェルマークを支援してシベリアを征服させ、 逃亡農民を取り込んでシベリア方面の勢力を拡大させた。 晩年に後継者の次男イヴァンを誤殺し、最期は罪の意識に苦しむ中で死去した。 障害があった3男フョードルが後継者となり、 その死後ロシアは動乱時代に入っていった。
イヴァン4世は政争の中取り残される幼君という最悪な幼少時代を送り、 結果として最悪な人格に育ったらしい。 有能ではあったようで統治初期は功績も挙げたが、 妻の死を切っ掛けとして抑えが利かなくなり、 最悪の暴君として歴史に名を残した。 拷問や処刑で興奮する異常人格であるとまで伝えられるが、 同時に神に対する畏怖の念は持ち続けており、 晩年には次男以外の粛清に対しても罪の意識で苦しんだようである。 もっともロシアの歴史で凄惨な権力闘争は日常茶飯事であり、 イヴァン4世のような犠牲者は数多くいたと思われる。 君主として結構有能で権力を維持できたため、 歴史に名を残す暴君として君臨し続けることができたのではないだろうか。 実際暴君的なエピソードが多いが、 シベリアの勢力拡大や印刷所建設といった名君的な事績もある。

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