イタリア戦争(イタリアせんそう)

[ヨーロッパ−近世]

15世紀後半から16世紀前半にかけてフランスが イタリアの覇権を得ようとして繰り広げた戦い。 最初は1494年フランス王シャルル8世がナポリ王国の継承権を主張し、 北イタリア諸侯を屈服させた上でナポリを征服したが、 教皇・神聖ローマ皇帝・アラゴン・ヴェネツィア・ミラノが同盟して敵対し、 ナポリを捨てて撤退に追い込まれた。 次いで後を継いだルイ12世は今度はミラノの継承権を主張してこれを征服した。 その頃新興国スペインがナポリを征服し、 イタリアは両者の覇権を賭けて争う場と化した。 教皇は周辺諸国と同盟してフランスに対抗し、 フランスはまたイタリアから撤退した。 その次のフランソワ1世はまたミラノを征服したが、 ハプスブルク家出身のスペイン王兼神聖ローマ皇帝カール5世 (カルロス1世) が教皇と結んで対立、 パヴィアの戦いで破れ捕虜となり不利なマドリッド条約を結ばされた。 ところが釈放されたフランソワは条約を破棄し、 今度は教皇を初めとした諸国はフランスと同盟して強すぎるカールに対抗した。 これに対し神聖ローマ傭兵隊がローマを蹂躙、 教皇を屈服させ北イタリア諸侯もフランスから神聖ローマへ鞍替えする。 その後も何度かフランスはイタリアに進出しようとしたが、 悉く失敗した後国内の宗教対立から内乱状態になり、 その後イタリアに介入するどころでは無くなった。 結局イタリアの覇権はハプスブルク家のものとなった。 またイタリアはその後長い戦乱で国力を失い、 大航海時代による地中海の地位低下と相まって 相対的地位を低下させることになってしまった。

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