第1次イタリア独立戦争(だいいちじイタリアどくりつせんそう)

[ヨーロッパ−近代]

1848年革命の一環としてイタリアで行われた戦争。 ウィーン体制においてイタリアはオーストリア領と いくつかの領邦国家に分けられたが、 外国支配に対する反発や統一を求める人々は カルボナリなどの秘密結社を結成し活動した。 1848年にシチリアで暴動が発生すると影響は瞬く間にヨーロッパ各地に広がり、 イタリア各領邦でも革命によって憲法が発布された。 オーストリア占領地でも臨時政府が誕生したが、 共和政を求める急進派と立憲君主制を志向する穏健派が対立し、 穏健派の援軍であったサルデーニャ軍がオーストリア軍に破れて鎮圧された。 一方イタリア中部では革命がさらに進み、 ローマ教皇領では教皇が逃亡する事態に陥った。 教皇不在となったローマでは翌年選挙が行われてローマ共和国の成立が宣言され、 カルボナリの指導者であったマッツィーニら急進派の代表が執政に選ばれた。 ローマ共和国では信仰・出版の自由や死刑廃止など先進的な施策が実施されたが、 フランスでは教皇支持を明言したルイ=ナポレオンが大統領となり軍が派遣された。 共和国はガリバルディを司令官として抗戦したが、 衆寡敵せず敗れ、降伏して教皇がローマに帰還した。 共和国の指導者であったマッツィーニやガリバルディは亡命を余儀なくされ、 最後に残った革命勢力であるヴェネツィアもオーストリア軍によって鎮圧され、 独立戦争は失敗に終わった。 以後イタリア独立の試みはマッツィーニら急進派ではなく、 サルデーニャを率いる穏健派が主体で行われることになった。

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