第2次イタリア遠征(だいにじイタリアえんせい)

[ヨーロッパ−近代]

ナポレオンのエジプト遠征の事実上の失敗を切っ掛けに起こった フランスとオーストリアの間で行われた一連の戦いの総称。 ナポレオンのエジプト遠征が暗礁に乗り上げると、 第一次対仏大同盟の雪辱を果たす好機と見た諸外国は 第二次対仏大同盟を結成し、フランスに宣戦布告した。 オーストリアを中心とした同盟軍はライン川・スイス・ 北イタリアで攻勢に出て、 特に北イタリアではフランスが劣勢に立たされ オーストリアは失地の多くを奪還した。 この状況を知ったナポレオンは秘かに 将兵を置き去りにする形でエジプトを脱出し、 帰国後ブリュメールのクーデターによって統領政府を樹立、 実権を握った。 その上で軍をジュネーヴに集め、 アルプス山脈を越えて北イタリアに再侵攻した。 両軍はマレンゴで衝突し、 フランス軍は苦戦するものの援軍に現れた ドゼーの別動隊によって逆転勝利した。 ただしその代償にナポレオンが信頼した名将ドゼーは戦死した。 同時期にライン方面でもモロー率いるフランス軍が勝利すると 一旦休戦したが、 交渉が不調に終わると再戦したが、モローの再勝利によって講和が結ばれた。 最終的に結ばれたリュネヴィル条約は 第一次遠征のときのカンポ=フェルミオ条約とほぼ同じ内容となり、 ネーデルラントと北イタリアに建国されたフランスの衛星国が承認された。 なおイギリスは遠征終了後もフランスと交戦状態にあったが、 翌年アミアンの和約を結んで終戦した。

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