イーゴリ1世

[ヨーロッパ−中世]

キエフ大公国の大公。 ノヴゴロドの建国者リューリクの子で摂政オレグに擁立されたとされるが、 実際には本当にリューリクの子であるかどうかすらはっきりとは分からない。 オレグの死の前後に親政を始め、 オレグの路線を継承して外征により国土を広げた。 治世前半は主に遊牧民のペチェネグ人と戦い、彼らを押さえ込んだ。 治世末期にはビザンツ帝国と戦い、帝国を略奪して回ったものの、 ギリシア火の攻撃などにより撃退された。 しかし再度の遠征では敵を減らしたかった帝国から貢物をせしめることに成功した。 もっとも、この遠征は経済的にかなり無理をしたようで、 同じ年に貢納を強制されたスラブ系のドレヴリャーネ族により暗殺された。 なおドレヴリャーネ族はイーゴリの寡婦オリガの復讐により壊滅させられ、 その領土は大公国に組み込まれた。

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