イコノクラスム

[ビザンティン帝国]

8〜9 世紀頃、イコン (聖像画) の存在意義を巡ってビザンティン帝国の国論が2分されたが、 その中で排斥派によって行われた破壊活動。 歴代皇帝は概ね保守的であり、キリスト教の神の描写禁止の原則から イコンにも批判的な人物が多かった。 とりわけレオン3世は強硬で、多くのイコンを破棄し、反対する聖職者を迫害した。 しかし、布教活動の力には勝てず、結局最後は帝国がイコンを認めることになった。 以後、東方正教は東欧全体に普及し、また内部論争が決着したことで、 ビザンティン帝国も隆盛を迎えることになる。

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