フス戦争(フスせんそう)

[ヨーロッパ−中世]

中世ボヘミアでキリスト教改革派であるフス派と神聖ローマ帝国の間の戦い。 フス派の指導者ヤン=フスは異端と宣告され火刑に処されたが、 ボヘミアではこれに対する反感が強まった。 さらにカトリック教会がフス派の影響を取り除くべく 新市街参事会を解散させようとすると、 これに憤ったフス派信徒はプラハ市庁舎を襲撃し、 ドイツ人の市長と市参事会員を窓から投げ捨てた。 これを切っ掛けにカトリックの守護者を自認する皇帝ジギスムントと ボヘミア人を中心とするフス派との戦いに発展した。 戦力は皇帝側が勝っていたが、 フス派は最強硬派ターボル派の指導者であるヤン=ジシュカの軍事手腕と 登場したばかりのハンドガン及び馬車を用いたアウトレンジ戦法で連戦連勝した。 ちなみにこのターボル派の戦いが銃器を組織的に使用した 最初の戦いとも言われている。 しかしジシュカの死後フス派の内部で対立が起こり、 ターボル派は穏健派ウトラキストによって壊滅させられた。 穏健派はジギスムントをボヘミア王と認める替わりに フス派の存続を容認させられることで和平を結び、戦争は終結した。 またフス派はポーランドにも広がっていてボヘミアの信徒と共闘していたが、 こちらもボヘミアの和平後ポーランド王に敗れて戦争は終結した。
フス戦争はプロテスタントの先駆けといえるフス派の宗教戦争であったが、 同時にスラブ人によるドイツ人支配に対抗する民族戦争でもあった。 戦争は終結したが、ボヘミア人の民族意識はこの後も強く残り、 長くドイツ人支配層に対抗することとなった。

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