[ヨーロッパ−中世・近世]
中世ドイツを中心として西欧の世俗の覇者として君臨した帝国。
一般には962年オットーが戴冠されてから
19世紀ナポレオンによってフランツが退位したときまでを指すが、
実際にはオットーの称号はカール大帝と同じものだし、
逆に17世紀の30年戦争以降はヴォルテール曰く
「神聖ではなく、ローマでもなく、帝国ですらない。」
状態となって名前だけが存在していた。
とはいえ、皇室のハプスブルグ家はオーストリアの支配者なので、
決して弱体ではなかったのだが。
13世紀のホーエンシュタウフェン朝までは皇帝はドイツ王・ブルグント王・
イタリア王を兼任していたが、
徐々に名実共に「ドイツの」帝国と化していった。
名前が「ローマ」であるだけにイタリア侵攻に熱心であった皇帝が多かったが、
部分的にでも成功した皇帝は少なく、ドイツ政策に熱心だった時代の方が
うまくいったことが多かった。
もっとも、長く続いた国だけに、時代によって状況は大きく異なる。
当初は西欧世界の世俗を代表する覇者として教皇と度々対立したが、
やがて選帝侯の選挙で選ばれる存在となり、
皇帝そのものの権力は低下した。
そのため強権で知られた皇帝は、
他の王侯の地位を兼任していることが多かった。
代表的な皇室・特に有名な皇帝は以下の通り。