ヘンリー8世

[ヨーロッパ−近世]

テューダー朝のイングランド王。 先代ヘンリー7世の次男として生まれ、兄が早世したため太子となり、 父の死後に即位した。 イングランド王室最高の教養人と呼ばれ、 文芸・芸術・スポーツに優れており、 政治手腕も優れイングランドを発展させた。 しかしヘンリー8世はその名君振りよりも結婚問題と暴君振りで後世に名を残した。 最初は兄の未亡人だったスペイン王家のキャサリンと結婚したが、 息子ができなかったため離縁して愛人アン=ブーリンと再婚しようとした。 そこでその結婚を認可していたローマ教皇 (及びそのバックにいるスペイン王カルロス)と対立したが、 それに対抗して自らイングランド国教会の長となることを宣言し、 ローマカトリック教会から離脱した。 イングランド国教会はこのような経緯で生まれたため、 プロテスタントではあるが教義はむしろカトリックに近い。 その後やはり息子を産まないアン=ブーリンや諫言する側近を多く処刑し、 なまじ有能なだけにたちの悪い暴君として後世認識されるようになった。 待望の男児は3人目の后ジェーン=シーモアが生んだが、 若くして死去したため結局娘のメアリー・エリザベスが即位することとなった。 なお生涯6人と結婚し、王子を産んだジェーン=シーモアは産褥死、 アン=ブーリンとキャサリン=ハワードは処刑している。
知識と能力があっても名君とは限らないという見本のような王である。

見出しのページに戻る
歴史小事典+歴史世界地図に戻る