[ヨーロッパ−中世]
中世のイングランド王。
エドワード黒太子と並ぶ百年戦争のイングランド側の名将である。
生まれた当初は有力貴族 (ランカスター公) の子ではあっても王子ではなかったが、
イングランドの内紛により父がヘンリー4世として即位し
(この血統がランカスター朝である)、
同名の息子もプリンス=オブ=ウェールズ (太子) となった。
ヘンリーは王子の頃からその軍事手腕を発揮し、
ウェールズの反乱鎮圧などで功績を挙げた。
父の死後即位すると国内の融和に努め、
父が逮捕したリチャード王の一派と和解し、
国内基盤を固めた。
一方フランスでは王シャルル6世が精神異常となったことをきっかけに内乱状態となり、
ヘンリーはこれを好機と捉えた。
ヘンリーはフランス王位とかつてイングランドが失った領土を求め、
休止状態にあった百年戦争を再開した。
フランスは内乱の一方の当事者であるアルマニャック派が迎え撃ったが、
イングランド軍はアジャンクールの戦いで約3倍の敵を撃破した。
この戦いも百年戦争当初と同じく
フランス重騎兵をイングランド軍の長弓隊が破った戦いである。
その後フランスの有力貴族であるブルゴーニュ公フィリップを味方に引き入れ、
瞬く間に北フランスを制圧し、ヘンリーはフランスの王位継承権を手に入れた。
しかし、ヘンリーは戦場で赤痢にかかり、若くして病没した。
結局フランス王シャルル6世より少しだけ早死にしたためフランス王にはなれなかった。
そのためイングランド王位はまだ赤子であった息子ヘンリー (6世) が継いだ。
ヘンリー5世が死去した時点でまだイングランド側が優勢であったが、
その後ジャンヌ=ダルクの出現などをきっかけとしてフランスヴァロア朝側が反撃し、
結局イングランドはわずかな領土を残して大陸から撤退した。
もしヘンリー5世がもう少し長生きしていれば正式にフランス王となり、
王太子シャルル (7世) も反撃できずに降伏し
(この場合ジャンヌ=ダルクの出番はないであろう) 、
フランスとイングランドは同じ国となっていた可能性もある。
個人ばかりでなく国の運命もちょっとした偶然でどう転ぶかわからないものである。