ヘンリー3世

[ヨーロッパ−中世]

中世のイングランド王。欠地王ジョンの子でエドワード1世の父。 父の死後弱冠9歳で即位し50年以上王座にいたが、 その治世は波乱の連続であった。 当初は有能な貴族が摂政となって治世は安定していたが、 成人して親政を開始すると、 大陸系の家臣を重用してイングランド貴族と対立した。 父の失った領土を回復しようとフランスに戦いを挑むが、 敗れて聖王ルイに臣下の礼をとることで辛うじて領土を保った。 また、弟のコーンウォール伯リチャードを神聖ローマ皇帝にしようとしたが これも実権は得られず失敗した。 これらのことから財政難を招き、 対立派はシモン=ド=モンフォールを中心として団結した。 当初は王権への制限や議会を記したオックスフォード条項を認めさせられたが、 後にそれを反故にしたため、遂に内乱へと至った。 ヘンリーはシモンに敗れて捕虜となるも、息子エドワードが内乱を平定したため 王位は保った。 以降は専らエドワードが政治を行ったため、治世は安定した。
ヘンリーの治世は長かったが、 業績としては父ジョンと大差ない結果に終わってしまった。 このヘンリー3世までのプランタジネット朝の王は大陸政策を重視したため、 イングランドから見るとあまり良い王ではなかった。 彼の子のエドワードが名君と呼ばれるのは、 その手腕もさることながらブリテン島重視に切り替えたのが大きいだろう。 ちなみに、ヘンリーの妻エリーナはプロヴァンス4姉妹の次女で、 フランスの聖王ルイの王妃マルグリットの妹である。 彼女の取り巻きが重用されたため国民からは嫌われたが、 夫に対して献身的に尽くすなど彼女本人はそれ程悪い人ではなかったようである。

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