[ヨーロッパ−近世]
ブルボン朝の初代フランス王。「大王」「善良王」と称される。
ブルボン家当主でヴァンドーム公である父アントワーヌと
ナバラ女王である母ジャンヌ=ダルブレの間に生まれた。
両親共に王号すら持つ大貴族であったが、
同時に特に母ジャンヌは熱心なプロテスタント(ユグノー)でもあった。
フランス王が相次いで事故死・病死すると外戚に当たり
熱心なカトリックでもあるギーズ家が力を持ち、
ブルボン家と対立した。
その過程で父アントワーヌがカトリックに寝返り、
アンリも強制改宗させられたこともある。
ユグノー戦争が始まりアントワーヌが戦死すると、
若いアンリが当主となった。
さらに母によってユグノー陣営に戻され、
叔父コンデ公ルイに従って従軍し、指揮官として戦果も挙げた。
叔父の戦死後はアンリが盟主となり、
補佐役コリニー提督の助力もあって有利な条件で休戦した。
母の死によってナバラ王位も継ぎ、
和解のため王の妹マルグリットと結婚したが、
その結婚式の準備中にサン=バルテルミの虐殺が発生し、
多くの味方が虐殺された上アンリ自身も再び強制改宗させられた上で幽閉させられた。
その後戦争が再開されると機会を見て脱出し、
しばらく様子を見た後情勢が有利と判断するとプロテスタントに改宗、
再びユグノーの盟主となった。
その後同名のギーズ公アンリ・フランス王アンリ3世と対立し、
3アンリの戦いと呼ばれる状況となった。
ナバラ王アンリはギーズ公との戦いに大勝し、
それを切っ掛けにギーズ公とフランス王が対立し、
双方暗殺され共倒れとなった。
残ったナバラ王は妥協のためまたカトリックに改宗してアンリ4世として即位し、
代わりにナントの勅令を発してユグノーにある程度の自由を認めた。
その後カトリックとユグノーの和解に尽力し、
「大王」「善良王」と呼ばれるようになった。
しかし、最期は狂信的カトリック信者に暗殺された。
アンリ4世は文武に優れ、「大王」と呼ばれるに相応しい王であった。
特にユグノー戦争という内乱を終結させた功績は今でも評価されている。
またフランス王位継承権を持つ大貴族の出身であったが
(ちなみにブルボン朝のフランス王は代々ナバラ王位も兼任した)、
紆余曲折の末乱世を勝ち残った清濁併せ呑む英雄でもあった。
反面結婚生活は不幸で、
最初の妻マルグリットは上記のような経緯から不仲で後に離縁した。
次の妻はメディチ家のマリー・ド・メディシスであったが、
ルイ13世を始めとする子は儲けたものの、
政略結婚であったためか円満とは言えなかった。
そのため英雄色を好むと言われる如く多くの愛人を作った。