[ヨーロッパ−近代]
フランス革命期の政治家。
過激分子であるジャコバン派の中でも最も過激なエベール派に属した
(エベール派は統率を欠きリーダーは不在と見做されている)。
フランス西部のアランソンで裕福な金細工師の子として生まれた。
18歳のとき、近所の未亡人との恋愛トラブルを招き、
恋敵を中傷するビラを街頭に貼り出して裁判沙汰となり、
有罪となって故郷から追放された。
放浪ののちパリで困窮した生活を送り、過激思想に染まったと見られている。
フランス革命勃発後に新聞「デュシェーヌ親父」を創刊し、
卑猥な言葉で王党派やブルジョワジーを攻撃して貧困層
(サン=キュロット)の人気を得た。
その後コルドリエ=クラブ(後のジャコバン派のエベール派)に加わり、
政治家としての活動を開始した。
主に激烈な誹謗中傷と蜂起の組織でジャコバン派独裁の成立に貢献し、
マラーの死後はその支持者を吸収して一勢力の領袖となった。
元王妃マリー=アントワネットの裁判ではその卑劣な手腕を発揮し、
息子ルイ17世を洗脳して近親相姦をでっちあげ、
その処刑を主導した。
さらにキリスト教を排して「理性の崇拝」と呼ばれる無神論運動を推し進めた。
そんな中革命の収束を図るダントンと対立し、
また汚職に手を染めていたことからロベスピエールにも嫌われ、
手を組んだ両者によって権力基盤を奪われた。
挽回を図るエベールは武装蜂起を呼びかけたものの十分な支持が集まらずに失敗、
でっち上げの窃盗罪で裁判にかけられ処刑され、エベール派も瓦解した。
エベールはロベスピエールやダントンと同様
ジャコバン派の指導者の一人であったが、
アジテーションばかりで明確なビジョンを欠き、
自らを名を冠したエベール派をまとめ上げることも出来なかった。
時代の波に乗っただけの小物と言えよう。
恐らく自分でも己の「器」が分かっていなかったことが悲劇を招いた。