フランツ=ヨーゼフ=ハイドン

[ヨーロッパ−近世]

オーストリアの作曲家で、「交響曲の父」と呼ばれる。 ハンガリー国境近くのローラウ村で大工の子として生まれ、 音楽学校の校長をしていた叔父に才能を認められ、音楽の勉強を始めた。 聖歌隊に加わったものの、声変わりのため解雇され、以降苦学して音楽家を続けた。 徐々に名声を得て、カール=モルツィン伯の宮廷楽長となったが 伯の破産によって解雇された。 その直後エステルハージ侯爵家の副楽長、楽長の死後後任の楽長となり、 音楽活動の大部分をこの地位で行った。 作曲家としてはあらゆる(クラシックの)ジャンルの作曲を行ったが、 特に交響曲の形式を確立し「交響曲の父」と呼ばれることになった。 侯爵家の代替わりで解雇され年金暮らしとなったが、 フリーの音楽家として活動を続けた。 70歳くらいで持病で活動できなくるまで活躍し続け、 ナポレオンのウィーン進行中に死去した。
ハイドンはモーツァルトと並ぶ古典派作曲家の代表で (バッハ・ハイドンはバロック、ベートーヴェンは古典派とロマン派の過渡期)、 早熟・早世のモーツァルトと対照的に大器晩成型であったが、 多くの有名な楽曲を残した。 あまりにも劇的なモーツァルトと比べると地味な印象が強いが、 彼もまたタイプの違う天才であり、長い生涯に渡って業績を残した。

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