[ヨーロッパ−近世]
ドイツの音楽家で、「音楽の母」と呼ばれる。
あだ名は同年生まれの「音楽の父」バッハとの対比から日本で付けられたもので、、
ヘンデルに女性的要素があるわけではない。
また生まれはドイツだが、主にイギリスで活動した。
プロイセン領のザクセンで医師の子として生まれた。
父は息子を法律家にしようとして音楽活動に反対したが、
領主に音楽の才能を気に入られたため援助を受けることができた。
当初は父の希望通りハレ大学で法律を学んだが、
その死後は音楽家となりオペラで成功した。
イタリア遊学後にハノーファー選帝侯の宮廷学長となったが、
ロンドンで成功したため定住し、
後に正式にイギリスに帰化した。
なお主の選帝侯が英国王ジョージ一世となったが、
ジョージ自身音楽にもイギリスにもあまり興味を持たなかったため
両者の接点はほとんど無かったようである。
晩年は失明し作曲が出来なくなったが、演奏活動は続けていた。
またバッハの手術に失敗したジョン=テイラーによる手術を受けたが、
バッハ同様失敗し失明したままであり、
間もなく死去した。
ヘンデルは同年生まれのバッハとよく対比されるが、当時はヘンデルの方が有名であり、
交友関係はほとんど無かった。
バッハの方で面会を求めたものの、結局実現しなかった。
バッハは主に教会音楽を作曲したが、ヘンデルはオペラなど劇場用音楽を主に作曲した。
日本で最も有名と思われる「ハレルヤ」も劇場用オラトリオ「メサイア」の中の曲である。
知る人ぞ知る存在であったバッハが後世有名となり、ヘンデルは割を食った形になったが、
それでも高名な作曲家として今日まで名を残している。