ハプスブルク家(ハプスブルクけ)

[ヨーロッパ−中世〜近代]

多くの王侯を輩出したヨーロッパの名門貴族・王族。 当初はスイスはハビヒツブルク (鷹の城) を本拠とする小領主であったが、 皇族シュタウフェン家と繋がりが強くかったことと帝国諸侯の思惑から ルドルフ1世がドイツ王として選ばれた (皇帝にはなれなかったが)。 ルドルフは諸侯の期待に反して自家の勢力を広げ、 ライバルのボヘミア王オタカルの所領であったオーストリアに本拠地を移した。 ルドルフの子アルブレヒト1世が暗殺されてから皇位からは遠ざかったが、 オーストリア公として (主に婚姻によって) 着実に勢力を広げ、 アルブレヒト2世が即位とドイツ王位の世襲化に成功した。 さらにマクシミリアン1世はフランドルやネーデルラント一帯に勢力を広げ、 教皇による戴冠なしで皇帝を名乗った。 その孫でスペイン王であったカルロス1世が皇帝カール5世となると、 スペイン・ネーデルラント・ナポリ・神聖ローマ帝国を領有する大帝国が実現した。 さらに弟フェルディナントがハンガリー・ボヘミア王となり、 中南米の植民地も広がったため、 未曾有の大帝国となった。 しかし、その分争いも多く抱え、度重なる戦乱により財政は逼迫した。 カール5世の退位後、この大帝国は息子のスペインと弟のオーストリアに別れた。 スペインはポルトガル王位も兼ね、広大な植民地を支配したが、 無敵艦隊がイングランドに敗れて以降覇権を失い、 後に断絶して王位はブルボン家に移った。 神聖ローマ帝国は30年戦争で事実上瓦解するが、 ハプスブルク家のオーストリアは以降も大国として君臨した。 後にプロイセンに敗れてドイツの覇権を失うが、 ハンガリーに譲歩してオーストリア=ハンガリー帝国として再編し、 主にバルカン半島に勢力を広げた。 しかし、多くの異民族の統治に手を焼き、 セルビア人に皇太子が殺害されたことを切っ掛けに第1次世界大戦が起こった。 戦後敗れたオーストリア皇帝は退位し、 ハプスブルク家の帝国の歴史は幕を閉じた。
退位後一族はオーストリア国外に追放されたが、 帝位継承権と皇室財産を放棄して帰国を許され、 現在では政治活動も行っている。

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