ユグノー戦争(ユグノーせんそう)

[ヨーロッパ−近世]

フランスにおいてカトリックとプロテスタント (改革派・ユグノー) との間で戦われた内戦。 フランス王家は当初皇帝カール5世に対抗するためルター派を支援していたが、 国内にカルヴァン派を中心とするプロテスタントが広がると弾圧し始めた。 王アンリ2世の死後外戚として権力を握ったギーズ家は熱心なカトリックであり、 ブルボン家を中心とするプロテスタントとの対立は深まった。 やがてユグノーに対する虐殺を切っ掛けに内戦にまで発展し、 休戦期を挟んで40年近くに亘って争いが繰り広げられた。 特に多数派カトリックによる少数派ユグノーへの虐殺、 特にパリで行われたサン=バルテルミの虐殺が有名である。 この戦いはカトリックが優勢であるもののどちらも決定打を欠き戦いが長引いたが、 終盤のフランス王アンリ3世、カトリック過激派のギーズ公アンリ、 プロテスタントでブルボン家のナバラ王アンリの 3アンリの戦いと呼ばれる状況となったときに状況が動いた。 ナバラ王が大勝したことを切っ掛けにフランス王に対する不満が高まり、 特にパリで人気の高かったギーズ公に対する疑心からこれを暗殺、 フランス王もこれに憤った修道士に暗殺された。 残ったナバラ王アンリはカトリック中心のパリを懐柔するため 自分はカトリックに改宗した上でアンリ4世として即位し、 その代わりフランス全土制圧後にナントの勅令を発して ユグノーにある程度の自由を認めた。 こうして内戦は終結したが、カトリックとユグノーの対立はその後も ルイ14世の勅令撤回によるユグノーの大量国外脱出まで続くことになった。 またアンリ4世は内乱終結の功績から「大王」と呼ばれたが、 最期は狂信的カトリック信者に暗殺された。

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