カルリスタ戦争(カルリスタせんそう)

[ヨーロッパ−近代]

スペインで断続的に40年以上続いた内乱。 王位継承を巡る争いではあるが、 スペインが近代国家となる過程での戦いでもあった。 スペイン王フェルナンド7世には男子がなく、 従来法では弟のドン=カルロスが継承者となるはずであったあが、 フェルナンドは国事詔書を布告し娘のイザベルを後継者とした。 フェルナンドの死後幼いイザベルがイザベル2世として即位したが、 これを認めないカルロスは亡命先のポルトガルでカルロス5世として即位を宣言し、 双方の支持者による内戦へと発展した。 イザベルには自由主義的な市民が多く味方し、 カルロスを支持するカルリスタには封建主義的な保守主義者が多く加わり、 スペインの体制を巡る戦いへと発展した。 最初の蜂起は約7年続いたが、 カルリスタは当初は国土の3分の1を支配する勢いを見せたが、 内部分裂で衰退し、降伏してイザベラの王位が確定した。 二度目の蜂起はカタルーニャで起こり、カルロスの息子を旗印に3年戦ったが、 やはり鎮圧された。 三度目はイザベルが失政により退位に追い込まれた際、 サヴォイア家のアマデオが王に推戴されたが、 この政変に応じてカルロス5世の孫マドリード公カルロスを指導者として蜂起したが、 嫌気がさしたアマデオが退位し短い共和政を経て イザベルの子アルフォンソが即位すると、 カルリスタは支持を失い鎮圧された。
一連の戦いの間はイザベルが幼少であったり 成長しても失政が続いたりしたこともあって 政情が不安定であったが、 イザベル陣営は自由主義者の協力を得るため改革を進め、 保守派中心のカルリスタを破ったことでこの改革が定着し、 スペインは近代国家としての体裁を整えることとなった。

見出しのページに戻る
歴史小事典+歴史世界地図に戻る