大ドイツ主義・小ドイツ主義(だいドイツしゅぎ・しょうドイツしゅぎ)

[ヨーロッパ−近代]

フランクフルト国民会議で討議されたドイツ統一の方針。 オーストリアのドイツ人居住地域を統一ドイツに含めるのが大ドイツ主義、 含めないのが小ドイツ主義である。 会議が開かれた当初は大ドイツ主義が優勢であったが、 多民族国家であったオーストリアは ドイツ人居住地域とそれ以外の地域に分断されることになるため強硬に反対し、 会議から脱落した。 その後も会議は紛糾したが、 結局オーストリアを除くと最強国であるプロイセンを中心に据えた 小ドイツ主義でまとまった。 しかしこの頃には既に革命の機運は萎んでおり、 自由主義者主導の会議に反発したプロイセン王は会議の申し出を断り、 統一の試みは失敗した。 その後プロイセンは首相ビスマルクの下でドイツ統一へ邁進し、 主導権を確保するためオーストリアを除外して小ドイツ主義での統一を実現した。 ちなみに大ドイツ主義は成立しなかったものの オーストリアを取り込む願望は後々まで残り、 オーストリア=ハンガリー帝国解体後のナチスによるアンシュルスの下地となった。

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