ジロンド派(ジロンドは)

[ヨーロッパ−近代]

フランス革命時に登場した党派の内、穏健共和政諸派の総称。 ジロンド派という呼び名はジャコバン=クラブの穏健共和政派に フランス南西部のジロンド県出身者が多かったことから 後世付けられた名前。 革命に対し諸外国の圧迫が強まると主戦論を展開し、 政権を握って内閣を組閣した上でオーストリアに宣戦布告した。 しかし多くの貴族士官が排除された軍隊で それに代わる指揮系統が組織できておらず、 各地で敗戦を重ね、責任を取って政権をフイヤン派に譲り渡した。 フイヤン派の没落により再び政権に返り咲いたが、 急進改革派である山岳派との対立が激化していった。 国王や王妃が外国と通じたとされる文書が発見されると 山岳派は国王の処断、ジロンド派は穏健な対応を主張したが、 山岳派の意見が通って裁判となり、国王は処刑された。 この際ジロンド派は処刑の賛成派と反対派に別れ、一致した見解を出せなかった。 この国王処刑によって諸外国の態度は硬化し、 対仏大同盟が結成されるが、 ジロンド派は有効な手が打てず、山岳派に主導権を握られることとなった。 最期は山岳派のマラーを告発したが、民衆の支持はマラーに集まり、 逆にジロンド派が議会から追放されることとなった。 その後マラーが暗殺されるとジロンド派の中心人物は次々と逮捕され、 多くが処刑された。

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