ドイツ三月革命(ドイツさんがつかくめい)

[ヨーロッパ−近代]

1848年革命の一環としてオーストリアを含むドイツ各領邦で発生した革命。 フランスの二月革命勃発を切っ掛けにドイツの各領邦でも ウィーン体制に反発する暴動が発生した。 元のオルレアン朝がブルジョワジー重視のフランスでは 労働者が革命の中心であったが、 保守的王侯貴族が主体であったドイツ各領邦では 中産階級の自由主義者と労働者が革命に加わり、後に両者が対立することになった。 オーストリアではウィーン体制の中心であったメッテルニヒが 失脚の上亡命に追いやられ、 オーストリア支配下であったハンガリーやボヘミアでは自立を求める蜂起が起こった。 またプロイセンなどでも自由主義者による内閣が誕生した。 各地の自由主義政権はドイツ統一を目指してフランクフルト国民会議が開かれたが、 オーストリア中心の大ドイツ主義と オーストリアを除いたプロイセン中心の小ドイツ主義が対立し、 その他にも穏健自由主義と急進派の対立などもありまとまらなかった。 その間フランスでの六月暴動の鎮圧の影響で各国の王侯が反動的になり、 自由主義者主体の統一に否定的になっていった。 会議は最後には小ドイツ主義でまとまり、プロイセン王を統一ドイツ王に推戴したが、 既に反動的になっていたプロイセン王は要請を断ったため失敗に終わった。 その後革命の勢いは衰えて鎮圧され、元の保守的な王侯による政権へ回帰していった。 革命の失敗に失望した者たちはアメリカへの移民となり、 ドイツに残った者たちは保守的な君主制でのドイツ統一を模索することになった。 またオーストリアは各地の独立運動を弾圧したものの、 以後も独立を求める動きに悩まされ続けることになった。

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