[北米−近代]
アメリカの軍人・政治家。
南北戦争の初期に北軍主力であるポトマック軍の司令官、
さらに短期間だが北軍最高司令官となったことで知られる。
フィラデルフィアで眼科医の子として生まれ、
当初法学を志したが後に転じて軍人を目指し、
士官学校卒業後すぐに工兵の将校として米墨戦争に従軍し功績を挙げた。
南北戦争が開戦するとポトマック軍の司令官に任命され、
南軍主力の北バージニア軍と度々戦った。
マクレランは急拵えの軍を訓練すると南軍に攻勢を仕掛け、
司令官のジョンストン将軍を負傷させたが、
交代したリー将軍によって形勢を逆転されて撤退した。
その後リーに逆侵攻されるもののアンティータムの戦いで撃退し、
リンカーン大統領に奴隷解放宣言を出す切っ掛けを与えた。
しかしマクレランはリンカーン大統領の方針より自己の思惑を優先させて対立し、
さらに優勢な兵力を持ちながら中々戦況を改善できなかったこともあり、
最高司令官、次いでポトマック軍司令官から解任された。
マクレランは南軍に同情的で奴隷制廃止には反対であり、
リンカーンに終始反発した挙句大統領選挙では民主党の候補となったが、
敗れてリンカーンが再選された。
戦後は技師長や鉄道会社社長、ニュージャージー州知事などを歴任し、
大統領や戦争長官(現在の陸軍長官)の候補ともなったが、
何れも就任には至らなかった。
晩年は旅行の合間に回想録を執筆し、最期はニュージャージー州で死去した。
マクレランは敵将リーに最高の将軍と評価される手腕の持ち主で、
ポトマック軍の中でも人気のある司令官であった。
しかし南軍に融和的で奴隷制維持派であり、
奴隷制廃止を目指したリンカーン大統領とは折り合いが悪く、
度々反発して自説を優先し政府の方針を乱した。
さらに将兵の損失を恐れて消極的になることが多く、
そのこともリンカーンの苛立ちを招くことになった。
そのため現代ではその高い手腕に反してあまり評価されていない。