[ヨーロッパ−近代]
イタリアの革命家・軍人。
イタリア統一三傑の一人で専ら軍事面で活躍した。
現フランスのニースで貿易商の子として生まれ、
長じて商船の船長となった。
港町で青年イタリアの団員と出会ったことが切っ掛けでこれに加わり、
武装蜂起が失敗すると各地を転々とした末南米に渡り、
義勇兵として戦いながら用兵や統率の経験を積み重ねた。
1848年革命が勃発するとイタリアへ戻り、
ローマ共和国が成立するとこれに加わって防衛責任者となった。
緒戦は勝利したものの衆寡敵せず、
ローマが包囲される中ガリバルディは兵を率いて脱出し、
ヴェネツィアへ転戦するも被害を多く出し、
南米で出会った妻アニータも戦死した。
何とかサルデーニャ王国に逃れたが支援を拒否され、
海外への亡命を進められアメリカへ渡航した。
ここで船乗りとして活動していたが、
折を見てイタリアへ帰国し、
農業をしながら機会を待った。
第2次イタリア独立戦争が始まると共和主義者達と決別し、
イタリア統一を進めるためサルデーニャ軍に陸軍少将として加わった。
ガリバルディの働きは目覚ましくロンバルディア獲得に貢献したが、
プロンビエールの密約で故郷のニースが割譲されたことに怒り、
首相カヴールを批判しサルデーニャと距離を置くようになった。
南イタリアの両シチリア王国で反乱が起こると義勇兵「赤シャツ隊」を結成し、
シチリア島・南イタリアを占領してその支配者となった。
ガリバルディはカヴールを嫌っていたが、
共和政よりもイタリア統一を望む民意を無視できず、
会談の末占領地をサルデーニャ王ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世に献上し、
イタリア王国を成立させた。
こうして英雄となったガリバルディであるが、
サルデーニャの政策に反対していたこともあり、
サルデーニャ島近くの小島であるカプレーラ島に隠棲した。
隠棲といっても革命活動は続行し、
未回収のローマ回収のため独自に軍事行動を起こしたが、
イタリア王国軍に攻撃されて失敗し、
再び隠棲生活に戻った。
普墺戦争にイタリアが参戦するとガリバルディも参戦し、
善戦するもイタリア本軍が敗れたことで撤退した。
ただし戦争はプロイセンの勝利によって戦勝国側となり、
ヴェネツィアの回収は果たした。
その後は普仏戦争で帝政崩壊後の共和政政府に義勇軍を率いて加わったりしたが、
受勲や議会の議席には応じることなくカプラーレ島でひっそりと死去した。
ガリバルディは共和主義者ではあったが、
マッツィーニ程原理主義ではなく、
イタリア統一を優先してサルデーニャ王国に協力しその統一事業を軍事面で支えた。
故郷ニースをフランスに割譲したことでカヴール、
ひいてはサルデーニャ王国と対立し隠棲したが、
隠棲後もイタリア統一を目指して独自の活動を続けていた。
政治手腕はあまりないが「三傑」に相応しい活躍ぶりであった。