ガリレオ=ガリレイ
[ヨーロッパ−近世]
イタリアの学者。「天文学の父」と呼ばれ、天文・物理学の業績で有名である。
中部イタリアのピサで音楽家の長男として生まれる。
父ヴィンチェンツォ・ガリレイは作曲・演奏のみならず音響学の理論でも業績があり、
ガリレオも父の影響を受けたと見られている。
長じて医者となるためピサ大学に入学したが中退し、
転向して数学者に弟子入りした。
そして中退したピサ大学、次いでパドヴァ大学で数学教授となり、
当時の例に倣って数学のみならず天文学・物理学でも研究活動を行った。
ガリレオの業績として有名なものは、
- 実験結果を数学的に分析する手法を採用した。
また、読者に同じ実験をして検証を行うことを促した。
この点からガリレオは科学革命の中心人物と見做されている。
- 天体観測に初めて望遠鏡を使用し、月面の凹凸や木星の衛星を発見した。
このとき発見した木星の衛星イオ・エウロパ・ガニメデ・カリスト
(名前は後にシモン=マリウスが命名)は今日ガリレオ衛星と呼ばれている。
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- 上記観測結果から地動説を支持した。
しかしコペルニクス同様天体の円運動に拘り、
ケプラーが楕円運動を指摘しても反対し続けた。
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- 振り子の周期が重りや振れ角によらず一定である(振れ角が極端に大きい場合を除く)
等時性を発見した。
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- 物体の落下速度が(空気抵抗を除けば)質量に依存せず経過時間に比例するという
落下の法則を発見した。
これはピサの斜塔から重りを落としたという俗説が弟子によって広められたが、
実際にはじっくり観察できるよう斜面を用いて実験した。
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晩年権力闘争に巻き込まれ、地動説を口実に異端審問・失職の憂き目にあい、
失意の内に死去した。
ガリレオはその業績とそれ以上に異端審問による悲劇的最期で有名である。
しかし異端審問の理由は教会の唱える天動説に反したというより、
信仰心が篤く並みの神父より教義に詳しかったため妬まれたのが動機だったとも言われる。
ガリレオの業績はイタリアでは発行できなくなったが、
教皇庁の権威はイタリア以外では及ばず、プロテスタントのオランダで発行された。
このため同時代のケプラーや後のニュートンにも影響を与えた。
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