フランス第二共和政(フランスだいにきょうわせい)

[ヨーロッパ−近代]

フランスの二月革命で生まれた政体。 二月革命は労働者に支持された急進改革派が主導したが、 その後実施された国民議会選挙では地方で支持が得られず、 穏健ブルジョワ派や王党派に敗れることになった。 穏健派が率いる政府は選挙前に急進派が労働者のために開設した国立作業場を コスト削減のため閉鎖したが、 それが労働者の反感を招き、大規模な六月蜂起を起こすことになった。 この蜂起は政府に全権委任されたカヴェニャック将軍によって徹底的に弾圧されたが、 あまりにも苛烈であったため政府は国民の人気を失うこととなった。 そこで国民の期待を集めたのが当時亡命していたルイ=ナポレオンであった。 ルイ=ナポレオンはナポレオン=ボナパルトの甥でナポレオン2世や兄の死後 ボナパルト家の政治活動の中心となっていたが、 政府の失墜に乗じて亡命先から補欠選挙に立候補し、 敢えて議席を辞退することで主に保守派である秩序党内で人気を集めた。 そして二度目の補欠選挙で圧勝して帰国を果たし、 続く大統領選挙でも圧倒的知名度を生かして単独過半数を獲得し勝利した。 ルイ=ナポレオン大統領は秩序党と組んで政権を運営し、 その後の総選挙では秩序党が大勝、 急進派も議席を伸ばしたがカヴェニャック率いる穏健派は大敗し、 議会は左右両極化が進む結果となった。 ルイ=ナポレオンは次の選挙で勝つためにカトリック勢力の支持を集めようと考え、 イタリアでローマ教皇が革命によって逃亡したことを踏まえ 帰還支援のため出兵し、革命勢力を崩壊させて教皇を帰還させた。 その頃秩序党はルイ=ナポレオンの思惑から外れて集会やストライキを禁止するなど 反動的な政策を実施するようになり、 国民の支持を失っていった。 秩序党と決別したルイ=ナポレオンはクーデターを起こして議会を解散し、 その直後の国民投票で国民の支持を集めてクーデターを合法化することに成功した。 翌年伯父同様国民投票によって皇帝ナポレオン3世となり、 第二共和政は終焉し第二帝政へ移行した。

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