[ヨーロッパ−近代]
フランス王国で勃発した市民革命。
当時のフランスはアンシャン=レジーム(旧体制)と呼ばれる
聖職者・貴族を合わせた特権身分による強固な平民支配が行われており、
これに対し啓蒙思想の広がりもあって平民の不満が溜まっていった。
政府は度重なる戦争により国家の財政難が続いたこともあり、
三部会を招集するなど問題の解決を図った。
しかし却って両者の対立は深まり、
暴走した民衆によるバスティーユ襲撃を切っ掛けに全土で騒乱が発生、
平民主体の国民会議が発足し、フランスの支配体制は崩壊した。
革命に同調しなかった特権階級が亡命し、
革命を危険視する君主制の諸外国による革命戦争が勃発したが、
当初は平民に同調した貴族などの穏健派が革命を主導していた。
しかし国王ルイ16世の亡命未遂事件を切っ掛けに急進派が台頭、
国王夫妻や政敵を次々に処刑し恐怖政治を行った。
最終的に恐怖政治を行ったジャコバン派はクーデターで失脚し、
穏健だが不安定な総統政府を経てナポレオンの台頭へと繋がっていった。
フランス革命はアメリカ独立と共に最初期の市民革命と見られているが、
試行錯誤の末迷走し、王政以上に過酷なジャコバン派政治を生み出してしまった。
また最終的には民衆自身によって王に代わる君主として
皇帝ナポレオンを生み出すことになり、革命そのものは成功したとは言い難い。
しかし後にヨーロッパを席巻する市民革命や
フランスに民主制が定着した第三共和政は
フランス革命があったために起こったものであり、
後世への影響は絶大であった。
また化学者のラヴォアジエを処刑するなど理性的とは言い難い時代であったが、
現在の国際単位系に繋がるメートル法の制定などの事業も行われた。