フランクフルト国民会議(フランクフルトこくみんかいぎ)

[ヨーロッパ−近代]

ドイツ三月革命の最中にフランクフルト(フランクフルト=アム=マイン) でドイツ統一の方策を討議するために開催された会議。 三月革命によってドイツ各領邦で自由主義者による政権が誕生し、 同時に分裂していたドイツの統一の機運が高まり、 選挙を経て統一のための会議がフランクフルトで開かれた。 議員として高級官吏の他教師・大学教授や商人が多く選ばれ、 「教授議会」と揶揄される状況であった。 会議では自由主義者主導という点以外ほとんど方向性が定まっておらず、 特にオーストリアを含む大ドイツ主義とオーストリアを除く小ドイツ主義で対立し、 議論は紛糾しまとまらなかった。 その間にフランスで六月暴動が鎮圧されるなど改革の機運は萎んでいき、 各国君主は自由主義に否定的になっていった。 大ドイツ主義は多民族国家であるオーストリアが国内の分断を招くと反発し、 会議はプロイセン中心の小ドイツ主義でまとまった。 しかし既に自由主義者主導の会議を見放していたプロイセン王は ドイツ皇帝への就任を断り、 会議は成果を挙げられないまま解散となった。 その後ドイツは君主主導の保守主義の政権へと回帰していき、 ドイツ統一はビスマルクを始めとする保守主義者によって果たされることになった。

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