フラウィウス朝

[ローマ帝国]

ローマ帝国2つ目の王朝。 同名のティトゥス=フラウィウス=ウェスパシアヌス親子とドミティアヌスの3代続いた。 親子は区別するため父をウェスパシアヌス、息子をティトゥスと呼んでいるが、 父は地方の一寸した名士から軍中で出世し、ネロの代にユダヤ反乱鎮圧の総司令官にまでなった。 ネロの死後の混乱期にシリア・エジプト総督の支持を得て即位し、 息子ティトゥスに反乱鎮圧軍の指揮を委ね、父ウェスパシアヌスは大穀倉地帯エジプトを押さえ、 ゲルマニア軍団を排除した後ローマに堂々と入城した。 その後父子でローマの混乱を回復させたが、父の死後間もなく思いがけず息子ティトゥスも死去、 ティトゥスの弟ドミティアヌスが即位した。 ドミティアヌスは有能ではあったが、低い出自と軍隊経験の無いことへのコンプレックスに負け、 恐怖政治を敷いて親族や元老院議員クラスの有力者の反発を招いた。 最後は妻と親族に裏切られて暗殺され、フラウィウス朝は終焉を迎えた。 その混乱の中選ばれたネルヴァから5賢帝時代が始まる。

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