フイヤン派(フイヤンは)

[ヨーロッパ−近代]

フランス革命時に登場した党派の内、立憲君主制を目指した党派。 革命はジャコバン=クラブが主導していたが、 ヴァレンヌ逃亡事件の対応を巡って内部対立が起こり、 立憲君主制を目指す一派が独立した。 この一派は集会場としてフイヤン修道院を使用したためフイヤン派と呼ばれた。 ラファイエットやシエイエスなど革命初期に主導した人物が加わっていたが、 シャン=ド=マルスの虐殺によるラファイエットの人気失墜の影響などで 国民の支持は低迷した。 革命戦争が始まると多くのメンバーが指揮官として参戦したが、 連戦連敗によってさらに弱体化することとなった。 さらに革命が過激化して国王が襲撃・幽閉されると完全に失脚し、 議員は亡命または処刑の憂き目にあい、フイヤン派は消滅した。 なお亡命した議員はジャコバン派失脚後に帰国し、 中には立憲君主派として活躍する者もいた。

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