ファティマ朝(ファティマちょう)

[北アフリカ−中世]

北アフリカに建国されたシーア派のイスラム王朝。 ファティマとは教祖ムハンマドの娘でアリーの妻。 建国者のウバイド=アラーはイラン系の出身で、 シーア派の中のイスマイル派の急進的な指導者であり、 ファティマの子孫と称していた。 部下を使って北アフリカのイフリーキヤ (チュニジア) でベルベル人の支持を集め、アッバース朝に対抗するシーア派国家を建設した。 やがてシチリア島・エジプト・メッカを征服し、 エジプトのカイロを本拠地として アッバース朝・後ウマイヤ朝に対抗してカリフを称した。 このファティマ朝時代に、イスマイル派が世界中に広まった。 しかし、多数派であるスンニ派住民の反発でイフリーキヤが独立し、 さらにセルジューク朝や十字軍の侵攻で国力が衰えた。 やがて内乱を切っ掛けとしてザンギー朝の侵入を許し、 将軍シールクーフに実権を奪われた。 そしてシールクーフの死後、跡を継いだ甥のサラディンによって滅ぼされた。 サラディンにより、エジプトは再びスンニ派の勢力下に入った。 以後シーア派は拠点をシリアやペルシアに移すことになる。

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