ウジェーヌ=ド=ボーアルネ

[ヨーロッパ−近代]

ナポレオン=ボナパルトの養子。後にイタリア副王となった。 ボーアルネ子爵とマリー(後のジョゼフィーヌ)の長男として生まれるが、 両親は仲が悪く妹オルタンスが誕生した年に離婚した。 フランス革命とジャコバン派による恐怖政治の最中父は処刑され、 母も投獄されたがクーデターにより釈放されるという波乱を経験した。 その後母ジョゼフィーヌがナポレオンと結婚した。 ウジェーヌはこの結婚に反対だったと言われるが、 結婚によりナポレオンの養子となると養父に忠実に従った。 エジプト遠征ではナポレオンの補佐官として参戦し、 父が権力を握った後の第2次イタリア遠征では士官として部隊を率いた。 ナポレオンが皇帝になると将軍に出世していたウジェーヌは元老院議員となり、 さらにナポレオンが制圧した北イタリアに設けられたイタリア王国の副王に任じられ、 父の代理としてこの地を統治した。 またバイエルン王女と政略結婚し、ヴェネツィア公の称号を得た。 誠実なウジェーヌは父に従って主に対オーストリア戦役に参戦し、 イタリア軍を率いて勝利に貢献した。 ジョゼフィーヌが子供ができないことを理由に離縁されると ウジェーヌは身を引こうとしたが、 ウジェーヌに期待していた両親に説得され地位に留まった。 その後ロシア遠征にも参戦したが、 敗戦後の撤退では早々に逃げ去ったナポリ王ミュラに代わって指揮を執り、 帰還まで配下の統率を維持することに成功している。 その後のフランス包囲網の最中、 ウジェーヌはイタリアからの撤退命令には従わず、 イタリアでオーストリア及び裏切ったミュラのナポリ軍と戦っていたが、 最終的に抗戦を断念し妻の実家であるバイエルンに亡命した。 亡命後にナポレオンがエルバ島を脱出して復帰したが、 ウィーンにいたウジェーヌはこれには従わず事態を静観した。 その後は舅から地位と領地を与えられてバイエルンで暮らしたが、 間もなく脳卒中によって死去した。
ウジェーヌは奔放な所があるナポレオン・ジョゼフィーヌと違い、 真面目で誠実な人柄であり、 そのため両親に信頼されていた。 奔放過ぎるジョゼフィーヌを反面教師にしたのかもしれない。 またナポレオンのような天才肌ではなかったものの、 指揮官としての能力もありナポレオンの勝利に貢献している。 おそらくあまり有能とは言い難いナポレオンの親族の中でリュシアンに次いで有能であり、 リュシアンが袂を分かった後は最もナポレオンに貢献したのではないかと思われる。 そんなウジェーヌであったが、最後はナポレオンに逆らってイタリアに留まり、 いよいよ撤退というときにフランスではなくバイエルンに亡命し、 その後もバイエルンに従った。 おそらくウジェーヌの性格からイタリア副王としての責任を果たそうとしたのであろうし、 またフランスに戻っても先がないと判断して妻の実家を頼り、 その後は受け入れてくれたバイエルンへの義理を果たしたのであろう。 なお本人はあまり長命ではなかったが、 政略結婚ながら夫婦仲は良く、 多くの子を設け各国の王と姻戚関係となり子孫は繁栄した。

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